0 未整理


コラム#11018(2020.1.1)

 <あのさあ、人間主義文明と人間主義的文明、という点で似てるんだわさ。↓>
 「・・・今日頭条・・・記事は、日本も英国も「かつては栄えたがそれぞれ没落または経済が停滞している」という共通点があると紹介。さらに、一人当たりのGDPが高いこと、民度が高いことも似ているという。経済面では、「どちらも中国の急速な発展を前にすると見劣りがする」と主張。日本市場は閉鎖的で競争とイノベーションには不利で、英国もEU離脱問題の影響が非常に大きく、海外からの投資が大幅に減少していると指摘している。
 さらに「農業」に関しては、両国とも国の経済に大きく貢献していると評価。日本には農地に適した土地がわずか12%しかないが、そのおかげでシステム化が進み、生産率を向上させており、英国は逆に農業用の土地は国土の77%も占めていて、わずか2%の労働力で食糧の需要60%を生産していると伝えた。最後に文化面に関しては、両国とも世界でも影響力を持っているが、「文化の輸出国である欧州」の英国は、日本よりも影響力を持っていると比較している。」


コラム#11019(2020.1.1)

 以上が年末で、年始については、早朝から、TVを付けた時にたまたまやっていたところの、NHK4K放送の「人類誕生」シリーズがなかなか面白かった。
 途中から見て途中で切ったのだが、初耳の話がいくつも出てきたからだ。
 特に、feeling・・人間主義!・・の度合いと前頭葉の大きさ、が関係していて、前頭葉が発達した現代人類が集団行動に長けていて、大脳がよりデカかったが、もっぱら頂頭葉という、視角等を掌る部位が発達していて、かつ、がっしりした体格のキン肉マンだったネアンデルタール人に、生存競争で勝った、という話が印象的だった。


コラム#11047(2020.1.15)

 ⇒諭吉自身によるところの、原文が示されていないのが残念ですが、アングロサクソン文明は、個人主義をメイン、人間主義をサブとする文明だが、それは平時の話であって、戦時には固い組織が形成されて独裁制へと変貌したところ、やがて、平時においても軍隊を筆頭に様々な固い組織群が生まれ、多くの人々がこれらの組織群に所属して生活の資を得る等が行われるようになった(コラム#省略)、ということを踏まえれば、諭吉(?)/丸山流の、「個人主義 v. 集団主義」的な二値的な物の見方は不適切極まるのであり、20世紀半ばを過ぎた時点においてなおそのような物の見方をしていた丸山に対しては、嘆かわしいと言うほかありません。


コラム#11047(2020.1.15)

 [『日本人は集団主義的』という通説は誤り(東大広報資料)]

 この広報資料それ自体は、なかなか示唆に富んでいるので、抜き刷り的に紹介し、私のコメントを付しておく。

 「・・・計22件の研究の結果をみると・・・、通説に反して、<集団主義的であるかどうかで>「日本人とアメリカ人とのあいだには明確な差はない」という結果を報告していた研究が16件、通説とは正反対に、「アメリカ人の方が日本人より集団主義的」という結果を報告していた研究が5件もあった。
 一方、通説どおり「日本人はアメリカ人より集団主義的」という結果を報告していた研究は、わずか1件(調査研究)しかなかった。・・・

⇒(米国文明はイギリス(アングロサクソン)文明と欧州文明のキメラであることから)米国人一般の人間主義度は(恐らく)イギリス人と欧州人の中間であるのに対し、日本人一般の人間主義度は(恐らく)世界一なので、その差、ということだろう。(太田)


コラム#11048(2020.1.16)

 [まともな文系学者が出て来るまでのつなぎの荒っぽい私見開陳]

一、日本はムッチャ犯罪発生率が低い。
 事実上世界一低い日本の殺人発生率。実に、欧米諸国の3分の1以下。↓

 定義の問題はあるが、OECD加盟諸国中最も低い日本の性犯罪発生率。
 性欲の性犯罪誘発率がかくも低いってことは、物欲の(定義が更にムツカシイ)経済犯罪誘発率も極めて低いことを推認させる。↓

 日本が人間主義社会ってことがその背景にある。
 で、こんだけ犯罪発生率が低いと、日本の刑事司法の在り方が、犯罪発生率がフツーの諸国と同じであることの方が不自然。

二、犯罪発生率が極めて低い日本では、逮捕は起訴、起訴は有罪、を事実上意味する刑事司法運用がなされている、というか、そのような運用(精密司法)が可能。↓


コラム#11048(2020.1.16)

 つまり、日本とは違って、欧米諸国じゃあ、素人や準素人がテキトーに訴追の是非を判断する場合が少なからずあるわけだ。
 何せ、犯罪だらけだもんね。
 とまれ、そうである以上、推定無罪

が徹底されなきゃ、容疑者はたまったもんじゃないわな。

三、そんなわけで、日本じゃあ、容疑者に対し、検事/司法警察員は、とにかく、自供させようとするんだな。
 これは、裁判官的立場に立って容疑者の情状酌量事由を引き出す狙いもあるが、何よりも、被疑者にも多少は人間主義性があると信じ、捜査自体に容疑者の協力を得ようという狙いがある。
 (日本以外じゃあ、非人間主義者と相場が決まっている容疑者に、そんな期待は一切かけられないだろな。)


コラム#11084(2020.2.3)

 「他人のために行動すると肉体の痛みが緩和されると実験で示される…」

 情けは人の為ならずって、マジ、本当だったんだー。
 人間主義者じゃない人はイタい(=辛い)一生を送るんだから命が短くなっても不思議じゃない。
 人間主義者が多い日本人の平均寿命が世界一なのは当然か。


コラム#11102(2020.2.12)

 「【世界22カ国調査】最も仕事に自信が持てない・運任せなのは日本人。家族と過ごしたい男性は3割以下…一方で「精神的な豊かさ」と回答した人の割合は、日本は世界に比べて群を抜いて高かった。…」

 人間主義に基づく、日本人の謙虚さ、無常観、精神性、を示しているのでは?


コラム#11102(2020.2.12)

 <人間主義の何たるかが分かってないと、ドイツ人であれ日本人であれ、こういう「好意的」誤解が生じる。↓> 
 「・・・私は日本が好きですが、日本へ行くと独裁国家にいるような感覚を覚えます。とても民主主義的だし、人々も優しい。中国にいるときのような感覚はない。でも、非常に柔和で優しい独裁国家です。誰もがそれを受け入れている、ソフトな独裁国家のような感覚です。
 日本の電車のシステムは完璧ですね。でもホームで列に並び、来たのがピンク色の女性専用車両だったら、私は別の車両へ移動しなければならない。もしそのシステムを理解せず、従わなかったら、いわゆる白手袋の駅員がやってきて追い出されることもあります。
 実際、そうだったんです。東京を訪れた際、ピンク色のシステムを知らないまま女性専用車両に立っていて、なぜピンク色なんだろうと考えていたら、もう白手袋がやってきていました。これが、ソフトな独裁国家ということです。
 このように完璧になめらかな機能性には、ダークサイド(暗黒面)があります。精神性や美が高まるというよい面もありますが。日本文化は非常に発達していて、誰もが美の共通認識を持っており、食べ物も、庭園も、すべて完璧に秩序が保たれている。それが日本文化のすばらしい面であり、よい面です。
 でも、暗黒の力もあるのです。抑圧されたもののすべてが、その力です。時間に遅れてはいけない、問題を起こしてはいけないと、まるで精神性まで抑えるかのような力です。・・・」


コラム#11137(2020.2.29)

 ⇒「父子君臣の上下倫理」の方は、儒教の病理というよりは、身分制社会ではなかった江戸時代(コラム#省略)を身分制社会と擬制して打ち出されたところの、(オームスばりに言えば、)徳川武士イデオロギー、といったものであって、支那とは基本的に無関係なものであった・・朝鮮半島に関しては留保したい・・のに対し、「華夷内外の弁」の方は、確かに儒教の病理ではあったかもしれないけれど、それは、政府が中華と自称した支那、及び、政府が小中華と自称した李氏朝鮮、にはあてはまっても、大にせよ小にせよ、およそ政府が中華と自称したことがなく、かつまた、中華の意味の核心部分を人間主義的なもので置き換える営みが往々にして見られたところの日本にはあてはまらなかった、と言えそうですね。(太田)


コラム#11149(2020.3.6)

 (注11)契り。「一、固く約束すること。約束。 「義兄弟の-」 二、男女が肉体関係をもつこと。 「一夜の-」 三、前世から定まっている運命。因縁。宿命。 「こうなるのも前世の-」」


⇒丸山は「なさけ<と>・・・ちぎり<が>・・・主従關係の心理的支柱となつていた」ことの典拠を付していませんが、「なさけ」は暗黙の人間主義、「ちぎり」・・但し、「一」の意味・・は「約束」を媒介とする明示的な人間主義、を、それぞれ、指す、と考えられます。(太田)


コラム#11149(2020.3.6)

 但し、丸山には全くそんな意識はなかったでしょうが、徳川時代における、武士達のホンネは人間主義であったの対し、支那における統治者達のホンネは墨家の思想であった(コラム#省略)のですから、両者の類似点は、表見的なものに過ぎなかったわけです。(太田)


コラム#11153(2020.3.8)

 なお、復習も兼ねて、(道教についてはさておくとして、)儒仏不二の説について、私見を申し上げておけば、本来の仏教(釈迦の教え)は全ての人に仏性(人間主義性)が備わっているのでそれを発現させてやればよいとしているのに対し、儒教は人倫は教化されるか自己修養しなければ身に付かないとしている、という点で大きく異っているので、不二ではない、というものです。
 但し、儒教と言っても、程明道と王陽明にとっての人倫は「万物一体の仁」であって、孔子以下のその他の儒者達にとっての人倫たる「仁」とは、万物一体性の有無において異なっているところ、前者の人倫は仏性とほぼ同じものである、と、私は見ているわけです。(コラム#省略)(太田)


コラム#11164(2020.3.14)

 ⇒厩戸皇子の仏教傾倒は、人間主義者たる彼が仏教が本来的には人間主義教であることを見抜いていたから(コラム#省略)であって、蘇我氏が仏教を鎮護国家教と捉えていたこと、かつまた、この蘇我氏が天皇家を蔑ろにしていたことに反発しつつも、耐え続けた人生を送った、というのが、繰り返しになりますが、私の仮説です。(太田)


コラム#11164(2020.3.14)

 同年、厩戸皇子は物部氏との戦いの際の誓願を守り、摂津国難波に四天王寺を建立した。四天王寺に施薬院、療病院、悲田院、敬田院の四箇院を設置した伝承がある。・・・

⇒これは、皇子の人間主義教仏教の考え方に基づく施策でしょう。(太田)


コラム#11164(2020.3.14)

 ・・・597年・・・、<豪族の>吉士磐金<(きしのいわかね)>を新羅へ派遣し、翌年に新羅が孔雀を贈ることもあったが、・・・600年・・・新羅征討の軍を出し、交戦の末、調を貢ぐことを約束させる。
 [<隋は581年に楊堅(高祖・文帝)によって建国され、588年に支那を統一していた

が、600年に、皇子は>「倭の五王による南朝への奉献以来約1世紀を経て<使節を送ったものの、>・・・倭の五王時代と違い、冊封を受けなかった。・・・高祖<は、使節から聞いた>俀國の政治のあり方が道理に外れたものだと納得できず、改めるよう訓令した<ため、>これが国辱的な出来事だとして、日本書紀から隋使の事実そのものが、除外されたという。
 ]

⇒人間主義(縄文性)に基づく諸施策を行った上で、今度は、皇子は、弥生性の獲得を企図し、新羅と緊張関係をあえて作り出すとともに、併せて、新羅が朝貢を開始していた隋

の情勢把握に努めた、ということではないでしょうか。(太田)


コラム#11199(2020.3.31)

 いずれにせよ、陸王学と朱子学との決定的な違いは、「象山・・・の学統は程明道―謝上蔡(注60)と受け継がれてきた「万物一体の仁」に連なるものであ<り、>それはやがて明代に至り王陽明へと受け継がれ<た>」
 前掲
ところ、朱熹が、「万物一体の仁」・・私見では人間主義と同値・・を承継しなかった点にある、と私は考えています。(太田)


コラム#11212(2020.4.7)

 <o6xZyXgk>

≫人間主義の「人」の自立性は世界一の可能性が≪(コラム#11047。太田)

 朱に交われば赤くなる的な事は起きづらい?

<太田>

 然り。
 日本固有の、「朱に交われば赤くなる(支)=水は方円の器に随う(支)=麻の中の蓬(支)=He that touches pitch shall be defiled.=Water leads itself to its vessel.=Keep good men company and you shall be of the number.(英)」系のことわざ(〇)がないだけではなく、その逆であるところの、「泥中の蓮(印)=A myrtle among thorns is a myrtle still.(英)」系のことわざ(●)すらない




ことがそのことを示しているように思う。
 すなわち、個人主義のイギリス(コラム#省略)や「外国の傍観者は、<支那>人をばらまかれた砂だという。」(孫文)

支那で、やたらと〇系のことわざが存在するのは、実は、イギリスや支那で集団主義ベクトルが強く働いていることを反映していると考えられるのに対し、インド亜大陸には●系のことわざしかないのは、バラバラ・ベクトルが強く働いていることを反映していると考えられ、イギリスにわずかながらも●系のことわざもあるのは、集団主義ベクトルに抗う個人主義ベクトルも存在していることを示唆していると考えられる。


コラム#11258(2020.4.30)

 <そりゃ、日本が人間主義社会だからだよ。だよね、習ちゃん?↓>
 「なぜ日本人は「世間という漠然としたもの」に対してまで謝罪するのか・・・今日頭条・・・」


コラム#11260(2020.5.1)

 <人間主義って、現地に同化しちゃうんだよね。↓>
 「我が国の少数民族、ロシア系や朝鮮系はいるのに「日本系はなぜいない?」・・・
 新中国による民族識別工作の際、中国に残留した日本人は約4000人に過ぎず、その多くが中国の生活に溶け込み、もはや日本人としての習慣を失っていたと記事は紹介。
 1つの民族として識別することができなかったので、新中国には大和民族が含まれてないのだと論じた。そのため、中国には日本人の子孫もいるにはいるが、すでに中国人と同化してアイデンティティは失われており、戸籍も漢民族になっているのだと伝えている。・・・今日頭条・・・」


コラム#11261(2020.5.1)

 ⇒私は、「鬼道」非儒教的価値観政治体制説に共感を覚えつつ、邪馬台国「鬼道」神道説を採りたいと思っていますし、神道を、通説であるところの、「アニミズム的・祖霊崇拝的」「宗教」(上掲)・・私は、それを人間主義「宗教」と捉えているわけです・・であると考えていますので、神道の総巫女とも言うべき天皇は、シャーマン的な性格とは無縁であると見ているところです。(太田)


コラム#11284(2020.5.12)

 以上のような話はさておき、末木の根本的問題は、天台宗や、天台宗と集合論的には重なり合うところの、密教、の、日本への継受は、朝廷、より絞って表現すれば復活天智朝、の政策として推進されたことは明らかであるにもかかわらず、同朝にとっての動機や目的を究明しようとする姿勢が見られない点です。
 私の見解は、天台宗の継受は、強い弥生性を身に着けることを期待しているところの、武家ひいては全武士、の殺人等に伴う苦しみの消滅を図るための、別の角度から言えば、殺人等を行いつつも縄文性(人間主義性=仏性=悟っていること)の維持を図るための、方法論を確立するためであり、密教の継受は、神仏習合教を確立するための理論を模索するためであった、というものです。
 ついでに最後に言えば、本覚思想は、日本のではなく、支那の、天台宗、遡れば大乗仏教、の「哲学」ですし、そもそも、仏性=人間主義、は、全ての人間に潜在的に備わっているのであって、それを顕現化する方法論も含め、「哲学」などではなく、「事実」ないし「科学」、なのですから、「注43」で登場した島地大等(注44)のように、本覚思想を日本独自の「哲学」とするのもおかしいのです。(太田)


コラム#11284(2020.5.12)

 ⇒蘇我氏が持ち込み、天武朝で花開いた鎮護国家教たる仏教を、復活天智朝が、人間主義維持を目的とするところの神仏習合教でもって置き換えを図り、それに成功した、というのが私見であるわけですが、その、悪しき副産物、が、加持祈祷の堕落形態とも言うべき、その現世利益的利用の横行であった、と、私は捉えています。(太田)


コラム#11285(2020.5.13)

 <「1940年体制」は「徳川体制」のバージョンアップ版に過ぎないんだし、人間主義社会にだって、不適応者はいるというだけのことでもある。↓>
 「世界一「陰湿で心が狭い」日本人が、自ら小売店を殴り殺す・・・


コラム#11285(2020.5.13)

 まだ理解が浅いだ。親の側の、人の迷惑にならないように、等の人間主義なのよね。↓>
 「「姥捨て山」の伝承に驚く中国人、・・・姥捨て山の伝承では、年老いて働けなくなった親を子が捨てようとするが、捨てられずに家に匿っていたところ、親の知恵や知識が役に立つ場面があると紹介。それによって、働けなくなったとしても年老いた人の知恵や知識には価値があることが周知されると紹介し、姥捨て山の伝承は「日本人が実際に親を捨ててきたことを示すものではなく、親孝行の重要性を知らしめるための伝承なのではないか」と指摘した。・・・中国メディアの百家号・・・」


コラム#11300(2020.5.20)

 ⇒一般に余り意識されていないことだが、足利将軍家は、ほぼ北条得宗家そのものであったと言ってもよいことが分かる。
 また、足利幕府を創建した足利尊氏は、鎌倉幕府を創建した源頼朝に勝るとも劣らない、「高度な文化と秩序」を身に備えた人物だったことも・・。
 夢窓疎石の尊氏評から窺えるのは、尊氏が、まさに、厩戸皇子が思い描いたところの、私の言葉で言えば、縄文的弥生人・・人間主義者たる武人・・であった、ということだ。(太田)


コラム#11308(2020.5.24)

 なお、臨済宗において、「悟りとは「生きるもの全てが本来持っている本性である仏性に気付く」ことをいう。仏性というのは「言葉による理解を超えた範囲のことを認知する能力」のことである。」(上掲)ともされているようですが、私に言わせれば、仏性というのは「人間主義性」のことですから、決して「言葉による理解を超えた」ものではないのですがね・・。
 但し、「いろいろな方法で悟りの境地を表現できるとされており、特に日本では、詩、絵画、建築などを始めとした分野で悟りが表現されている。」(上掲)は、結果オーライみたいな話であるもののまさにその通りであるのかもしれず、私見では、臨済禅寺院における詩、絵画、建築、室内、庭園等の環境に身を浸すことで、我々は、自身の人間主義性の回復、強化を図ることができるのではないかと思っているのですが・・。
 この辺りのことを、もう少し、経験科学も踏まえつつ、論理的に説明、解明ができればいいのですが。(太田)


コラム#11314(2020.5.27)

 ⇒天台宗と相俟って真言宗が、いかに、(非鎮護国家教たる仏教であるところの、私の言う)神仏習合教たる仏教各派の興隆に資したのかが分かろうというものですが、覚鑁の成仏(悟り)方法論が全て誤りであることは、太田コラム読者の多くは先刻ご承知のはずです。
 身密、口密、などやったところでほぼ時間の無駄ですし、意密だって支那や日本に伝わったのはサマタ瞑想だけでヴィッパサナー瞑想を伴っていなかったので、それだけでは人間主義化できないのですからね。
 いや、そもそも、日本人の大部分は、縄文時代の時もそれから後も人間主義者のままであって、既に成仏し(悟っ)ており、それが弥生性を発揮したことで弱化した場合に回復させる方法論しか必要とはしなかったのですからね。(太田)


コラム#11320(2020.5.30)

 ⇒武家/武士そのものが聖徳太子コンセンサスの所産ですが、武家法の形式(十七条憲法の3倍の条文数)も中身(徳地主義≒人間主義)も同コンセンサスを体現している、というわけです。(太田)


コラム#11320(2020.5.30)

 その「道理」は、『愚管抄』のように不可知の神仏まで関わるようなものではなく、あくまでも世俗のレベルでのあるべき理法である。
 そこでは、評定に際して、「理非においては親疎あるべからず、好悪あるべからず。ただ道理の推(お)すところ」に従うべきだとされていて、その公正さの根拠が「道理」に置かれている。
 それは、法や倫理の根拠を神仏と異なる理法に求める点で、後世の儒教の需要などにつながるものと見ることができる。<(注108)>」(69~70)

 (注108)「中世末期の《日葡辞書》には,すでに,〈良い道理〉とともに〈礼儀正しさ,律義さ〉という意味があげられているが,この言葉が,対人関係上,守り実践しなければならない道義をさすものとして特に重んじられるようになるのは,近世社会においてである。近世初めの儒者林羅山は,〈人ノ心ノ公平正大ニシテ,毛ノサキホドモ人欲ノ私ヲマジヘズシテ,義理ヲ義トスルハ,義ゾ〉(《春鑑抄》)といい,〈義理〉を儒教の〈義〉と結びつけ,世俗的な人間関係における絶対的な道義とした。」


⇒「注108」にもかかわらず、私は、「道理」は、既に泰時の当時から、「対人関係上,守り実践しなければならない道義をさすものとして」、すなわち、私の言葉に置き換えれば、「人間主義をさすものとして」用いられていた、と考えています。(注109)(太田)


コラム#11324(2020.6.1)

 ⇒「注114」は、慈遍の神道理論を端的に神本仏迹説としているところ、それを所与として申し上げれば、人間主義化を唱える宗教が現世利益をウリにする宗教を客寄せに使う・・密教(注115)がそうです・・仏本神迹はありえても、その逆である神本仏迹は、およそ客寄せにならないので、成り立ちえない、よって、慈遍説は間違っている、というのが私の見解です。


コラム#11327(2020.6.3)

 聖徳太子はスゴかった、というわけです。
 日本の近現代において、太子のスゴさが、これまでもっともっと強調されなかったのが、私には不思議でなりません。
 但し、もっとスゴイ、というか、奇跡に近かったのは、聖徳太子の頃、依然として日本が基本的に人間主義社会だったことです。
 だからこそ、そんな社会を守るために、日本に縄文的弥生人を作り出す必要に太子が迫られたのですからね。


コラム#11328(2020.6.3)

 ⇒気付いたばかりなのですが、川端康成の「誰もの望まない、誰も真似られない・・・反逆的生き方」をする人・・川端の場合は、美、就中女性美の追求・・の世界、的な魔界観↓

は間違っており、その間違った、しかも、間違っているかもしれないとの疑念から揺れ動いていた魔界観、の下にいくつかの「秀作」と「失敗作」を書き、更に、この魔界観の一端・・と言っていいでしょう・・をノーベル賞受賞講演で披露までしてしまった川端(上掲)は、(単なる老人性鬱によるものではないとすればですが、)やはり間違いだったと結論を出し、自らの不明を恥じて自裁したのではないでしょうか。
 ←事実関係
 というのも、私は、「仏界入りやすく、魔界入りがたし」を、私の言葉で言うところの、「縄文人のままでいることはたやすく、縄文的弥生人になることはかたし」、の意味だと解しているからです。
 (言うまでもなく、縄文的弥生人とは、縄文的世界、すなわち、人間主義的世界、を守るために殺生等を必要悪として行う人です。)


コラム#11351(2020.6.15)

 <人間主義だ! 集団主義/個人主義、とは次元が違うの。↓>
 次に、人と民族との関係として集団主義を取り上げ、日本では話し方、物事の進め方、他人との付き合い方などに集団としての特定のルールがあると説明。このルールに反した場合には「村八分」という厳しい制裁による孤立が待っているため、人びとはルールを厳格に守って「村八分」にならないよう生きているとした。このために、強制的なロックダウンではなく「自粛のお願い」という弱いルールでも多くの日本人がこれを守ったという見立てのようだ。


コラム#11364(2020.6.21)

 盤珪永琢の場合で言えば、何もしなくても人は悟った存在・・人間主義者・・であり続けることができる、と言っているに等しいわけであり、これは、浄土宗や浄土真宗の、南無阿弥陀仏の念仏さえ唱えておれば、悟った存在・・人間主義者・・であり続けることができる、という主張を、更に徹底したものである、というべきでしょうね。
 しかし、しつこいようですが、こういった営み、ないし主張、は、日本においては、殆ど何の意味もないのであって、非人間主義的言動を生業として行わなければならない武士達等の人間主義性の完全毀損をいかに回避させるか、或いは、非人間主義的言動を生業としつつもその実践の機会を奪われた武士達の非人間主義性(弥生性)の完全毀損をいかに回避させるか、こそが懸案であったわけです。


コラム#11372(2020.6.25)

 なお、大久保紀子(注197)は、「宣長の神は、行為する神であり、その「御所為」は日常的にめぐみという形ではたらきを人に」およぼす。神の行為は、君や先祖や親のめぐみとして、日々そこここに見出すことができる。その意味で、宣長が、神を如何に人智の及ばぬ遥かな所においていたとしても、その実、神は人の日常の世界の中に取り込まれていたということができる。」(「本居宣長の神の定義について」より)

としていますが、そうだとすれば、宣長の神は、私見では、いわば、人間主義を神格化したものであって、論理的にも、「飛躍」はない、ということになりそうです。(太田)


コラム#11373(2020.6.26)

 <ちゃう。人間主義なの。↓>
 「日本でゴミのポイ捨てが少ないのは、「集団主義」の影響によるものだ・・・中国のポータルサイト・百度・・・」


コラム#11374(2020.6.26)

 ⇒「注201」もある意味示唆しているように、増穂残口は、潜在意識においては日蓮宗の僧のままで、日本においてのみ人間主義が確立している、という認識を分かり易く宣明しつつ、その生涯を終えた、というのが私の見解です。(太田)


コラム#11375(2020.6.27)

 ⇒後ろに元が控えていることもあり、高麗の一部なりともの奪取すら困難だったとしても、土地による恩賞に代わるものとして、高麗の金品や技術者の奪取をヒットアンドラン的に行うことは十分可能だったはずであり、高麗遠征を結局行わなかったのは、北条得宗家伝統の人間主義に基づく自制(コラム#11320)が働いた、というのが私の見方だ。
 しかし、これを行わなかったことが、結果的に鎌倉幕府の没落をもたらすこととなった。
 時の後宇多天皇は、このような鎌倉幕府の対応に不満であったに違いない、という話を後述する。(太田)


コラム#11375(2020.6.27)

 ⇒厩戸皇子は、慧慈が伝えた道安の仏教観の、弥勒信仰以外であるところの、この部分を良しとし、道安が解説した諸経中、法華経を、人間主義実践推奨の経典と受け止め、同経に最も感銘を受けたのだろう(注26)。


コラム#11375(2020.6.27)

 ちなみに、勝鬘経は人間主義の具体的実践方法を記述しており、


コラム#11375(2020.6.27)

 その上で言うのだが、厩戸皇子は、606年(推古14年)に推古天皇に『法華経』<(注32)>を講じ、615年には法華経の注釈書『法華義疏』を著しており、

皇子は、『法華経』を、その中の法華七喩(ほっけしちゆ)

を基軸として、すなわち、人間主義的営為を勧める経典として読み、『涅槃経』ではなく、『法華経』を仏教の基本的経典と認識した、と、私は考えている。


コラム#11375(2020.6.27)

 一方、九世紀以降に仏教学者や僧侶の発想により、本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)という思想が生まれました。
 これは、日本の八百万の神様はすべてが仏の化身として現われたものだと考える説です。
 たとえば、本地である大日如来という仏が日本に垂迹すると天照大神という神になり、薬師如来は牛頭天王や素戔嗚になり、大黒天が大国主になるといった具合です。
 この本地垂迹説は、仏教がもとにあって神道があとに出てきたものという考え方をとります。
 そのようにして仏教と神道の習合をはかったのです。もともと日本にあった神仏習合の考え方とは正反対の考え方です。・・・
 神道というのは、自然にしたがっていけばすべてはうまくいくという考え方です。

⇒ここはその通りであり、神道を持ち出すまでもなく、その大部分が人間主義者であるところの日本人達は、そのまま「自然にしたがっていけばすべてはうまくいく」わけなのだ。(太田)


コラム#11375(2020.6.27)

 ⇒厩戸皇子は、四天王寺を、仏教と神道の習合の試行を行う場とすると共に、政府の人間主義的施策の拠点に使おうとした。(太田)


コラム#11375(2020.6.27)

 ⇒厩戸皇子は、法隆寺を創建し、玉虫厨子を通じ、神仏習合教の核心的教えが人間主義の意義を理解し実践することであることを示し、同寺を、この教えを広める拠点にしようとしたわけだ。(太田)


コラム#11375(2020.6.27)

 私は、日本の場合、聖職者(仏僧)が(公共工事を含む)慈善事業を行う、という事例が、その歴史を通じて続いた点、及び、その根源的理由が、仏教というよりは、日本文明に内在する人間主義による点、が、ユニークであった、と考えている。


コラム#11375(2020.6.27)

 北条得宗家は、厩戸皇子を崇敬するとともに、縄文的弥生人の縄文性回復・維持に最適な仏教宗派として、臨済宗に着目し、盛り立て、かつまた、人間主義的統治に努めた。↓


コラム#11375(2020.6.27)

 ⇒私なりに、大胆に補足すれば、この武家禅宗国家体制が生み出したのが、「足利義政が慈照寺(銀閣寺)の東求堂(1485年・・・)に造った「同仁斎」」等を濫觴とする書院造であり、「その後の和風住宅は、書院造の強い影響を受け」ることとなった」

ところ、これは、いわば、臨済禅寺空間の一般住宅へのスケールダウンした取入れであり、これによって、日本のほぼ全ての住宅が、神社/寺院的な、人間主義維持のためのミニ拠点、へと転化し、昇華したのだ。
 それを象徴するのが、一般住宅への神棚と仏壇の設置だ。
 この伝統の精神は、日本間がなくなりつつある現在の日本の住宅にも受け継がれている。(太田)


コラム#11375(2020.6.27)

 ⇒(神道は大方の日本の人々(等)の人間主義性を「体現している」ところ、)日蓮の観点からすれば、法華経は人間主義性の全ての人々(等)への「普及を説いている」点が卓越しているわけだ。(太田)


コラム#11375(2020.6.27)

 日蓮に下し文を発した父親の後宇多天皇(前述)に続き、前述したように、後醍醐天皇が日蓮宗を保護したこと(コラム#11338)は頗るつきに重大なことだった、と、私は考えている。
 後宇多天皇は、聖徳太子コンセンサス/桓武天皇構想に基づく武士の創出/封建制の確立が順調に進んだ証拠に、文永の役で一回目の元寇を撃退した、と見て、弘安の役なる二回目の元寇の前後に日蓮からの申状を読み、弘安の役もまた日本側の勝利に終わることを当然視しつつ、それに引き続いて、鎌倉幕府率いる日本軍が大陸に反攻し、高麗の人々や明の遺民達を「モンゴルの軛」から解放し、彼らに人間主義、更には武士性を身に着けさせることを期待したからこそ、この申状に賛意を表した、と私は思うに至っている。


コラム#11375(2020.6.27)

 ⇒「八紘一宇」とは、私の言葉でいう人間主義を日本から世界に広めることであったわけだ。(太田)


コラム#11375(2020.6.27)

 ⇒日本は、人間主義を世界に広めることが「平和手段で決し難い場合」、「戦争<を>・・・方便<として、>・・・やむを得ずして行う」ことが許される、ということだ。(太田)


コラム#11379(2020.6.29)

 「「コロナ感染は本人が悪い」日本は11%、米<国>の10倍<超、中共の2倍未満>…日本ではコロナに限らず、本来なら『被害者』のはずの人が過剰に責められる傾向が強い。…大阪大教授ら心理学者の研究グループ…」


コラム#11379(2020.6.29)

 <中共への人間主義の普及、まだまだのようね。↓>
 「・・・中国メディアの快資訊は・・・日本人サポーターたちのゴミ拾いは決してその場限りの見せかけの行為ではなく、むしろ本物のモラルであると論じる記事を掲載した。」


コラム#11381(2020.6.30)

 絶対悪も絶対善もなく、人間主義発現の程度の違いがあるだけ、というのが日本人の考え方。↓

 「・・・12世紀頃の絵巻物に「辟邪絵(へきじゃえ)」がある。そこには、善神の天刑星(てんけいせい)が疫鬼の牛頭天王(ごずてんのう)を踏みつけるさまが描かれている。
 天の刑罰を与える天刑星は、もともと中国で世の中に災厄を運ぶ神だったが、日本で陰陽道と結びついて善神に転じた。荒ぶる神で、扱い方を間違えるとひどい目にあわされるが、庇護(ひご)を受けられれば心強い。
 やっつけられる疫鬼の牛頭天王は、祇園社では善神として祭られている。つまり、この絵では二面性を持つ2神が戦っているのだ。その中で疫病が力を失い、世界に調和がもたらされる。神や鬼がどんな局面でどうふるまうか。その結果が時に秩序を、時に混乱をもたらすというのが、中世日本人の世界観だった。・・・
 中世の人々は・・・輪廻転生(りんねてんしょう)をはじめ、すべてが循環する世界の中で、善悪は併存するものという観念が人々の心の中には根付いていた。
 現代社会はすべてで最善を求めがちだが、視野が部分的、局所的なようにも感じる。・・・
 <情けは人のためならず、すなわち、人間主義は自分に現世利益を与える、にもかかわらず、与えられない人は自業自得って考え方なんだよな。↓>
 12世紀頃の絵巻物「病草紙(やまいのそうし)」では、多くの場面で病人を指さして笑い、蔑む人々が描かれている。過去の罪業の結果として病を得た者は、社会から隔てられ、排除される。それが当時共有されていた通念だった。
 疫病は善ならざるものが世にはびこった結果、まん延すると考えられた。
 <為政者は、被治者以上に人間主義的にふるまわなければならない、ということが当然視されたってこと。↓>
 したがって為政者の責任は重く、何らかの対策を取らねばならない。施薬院などを設けたほか、神仏を頼んで発願し、寄進した。・・・」


コラム#11381(2020.6.30)

 <仏教で価値があるのは、悟り(人間主義)の重要性と悟るための方法論、とりわけ瞑想、の提示、だけであり、存在論等、その他の諸々はゴミだ、と割り切った方がいいで。↓>
 「曼荼羅の時間と空間の世界は4種の存在で構成される。・・・」


コラム#11389(2020.7.4)

 <ちゃうちゃう。日本では人間主義、支那では非人間主義、なのよ。習ちゃんに聞きなさい。↓>
 「・・・中国メディアの百家号・・・記事は・・・「中国と違って、日本は歴史上、ほとんど大虐殺や民族大移動のような出来事が起こらず、社会はずっと安定し、分裂などもなかった」とし、中国人は個人主義であるのに対し、日本人は自分が属する組織や集団を優先する・・・「全体主義」<の>・・・傾向があると指摘。それゆえ日本と中国では企業文化も大きく違っているのだと論じた。・・・」


コラム#11393(2020.7.6)

 <トッドが、自国以外についてムチャクチャ言ってるわ。日本は「人間主義的」で「女性の地位が異常に高い」国なんだぜ。↓>
 「・・・〈「個人主義的」で「女性の地位が高い」国(私の専門の家族構造で見れば、英米のような「絶対主義核家族」や仏のような「平等主義核家族」)で、死亡率が高く、「権威主義的」で「女性の地位が低い」国(日独韓のような「直系家族」)で、死亡率が低くなっています。・・・」


コラム#11396(2020.7.7)

 ⇒内村鑑三は、親藩の武士の子ながら、勝海舟通奏低音に完全に染まることなく「日清戦争には反対の立場をとった」

この通奏低音の主の勝とは違って日清戦争は支持したものの、日露戦争には反対したことから、島津斉彬コンセンサスないし横井小楠コンセンサスとも距離を置いていたようですが、その対米観や対社会主義観、や、すぐ後で触れるその思想からして、杉山構想的なものを明かされておれば、それに賛同したのではないか、と、私は考えています。
 で、内村鑑三の思想ですが、要するに、彼、四書五経を新旧約聖書で置き換えただけだ、というのが私の見立てです。
 儒教には学派はあっても、教師の資格も教徒の「資格」も儀礼もないことに倣ったのが無教会主義である、と。
 また、日本の儒者の多くが、支那の史書の読書等を通じて日本文明至上主義者になったのと同様、彼は、米国での体験等を通じて米国よりもむしろ日本において聖書が理想視する平和や利他主義(的なもの、実は人間主義)等がより確立していることに気付き、(彼の墓碑に記されているように)日本文明至上主義者になった、と。
 だからこそ、彼は、日本文明至上主義者であったところの、宗教家たる日蓮、に強い共感を覚えた(コラム#11375)のだろう、とも。


コラム#11397(2020.7.8)

 人間主義的統治であることよ。↓

 「・・・北条氏康<は、>・・・「万民への哀憐、百姓への礼について御意見を受けましたが、去年は分国中の諸郷に徳政を下し、妻子や下人の質入れを無効にいたしました」と善政の成果を主張した。
 加えて「わたしは10年前から目安箱を設置し、諸人の訴えを聞くようにしています」と、これまで自分がどれだけ民政に心を尽くしたかを説いた。・・・」


コラム#11457(2020.8.7)

 被爆者の人々、原爆禁止運動は徒労に終わるしそもそも問題なので断念し、原爆管理体制の構築と、それと並行したところの、世界への人間主義普及、に、運動の方向を切り替えよう!
 (おっと、大事なことを忘れていた、原爆投下という巨大な戦争犯罪という「過ちを犯し」た米国政府および当時の米関係者達の糾弾運動もやらなきゃね。)↓

 Hiroshima 75 years later: Survivors still fight for A-bomb ban・・・


コラム#11488(2020.8.22)

 このため、武士はただの戦士ではなく、為政者的性格も併せ持ち始め・・・奔放かつ私欲むき出しの風潮を矯正し、人心を引きつける指導者的徳性(道徳心)を見につけようとした。・・・

⇒人間主義史観で行くと、話は逆で、非武士とは違って、武士は弥生性を発揮することで人間主義性(縄文性)・・徳性(道徳心)!・・が毀損されるので、それを回復するように努めなければならない、というだけのことなんですが・・。(太田)


コラム#11510(2020.9.2)

 ⇒縄文人(人間主義者)は生命尊重で平和志向なのだけれど、人間主義者というのは他人に忖度する人でもあるので、攻撃されたら家族や共同体のためにシャカリキに戦うし、部隊の一員である時も戦友のためにやはり全力で戦うから、そういう意味では、確かに「武の面で勇敢な民族である」と言っていいでしょう。
 (この点は、私のこれまでの主張を改めました。)
 問題は、それだけでは、戦闘、戦争には勝てないことです。
 勝つため、いや、太田コラム的に言えば、戦いの目的を達成するため、には、縄文的弥生人が不可欠なのです。(太田)11510


コラム#11510(2020.9.2)

 当時、物質文明は欧米の方が優れているかもしれないが、精神文明では日本が優れている、だから日本が勝つ、という主張がなされた。

⇒それは、日本は、その大部分の構成員の人間精神が(人間主義者であるという核心において)本来的に優れている、という主張であったと受け止めることができるのであって、その主張は正しく、しかも、私がかねてから指摘しているように、戦争目的をことごとく達成したという意味で、日本は勝ったのですから、文字通りその通りだったわけです。(太田)


コラム#11557(2020.9.26)

 しかし、人間主義的統治は、権力の担い手が縄文的な人物ではなく縄文的弥生人的な人物でなければ維持し得ない。
 ところが、趙匡胤は、自分の後継権力者として縄文的弥生人的な人物を確保することを怠り、あまつさえ、縄文人的な弟によって(恐らくは)殺され、この弟が権力を奪取した結果、当然のことながら、縄文人的なこの人物及びその子孫達によって宋は単なる縄文人的な統治が続けられ、国勢はすぐに衰えてしまうのだ。
 これと似たことは、既に、隋でも唐でも起こったのであり、騎馬遊牧民系の王朝は、王朝が成立した瞬間から、外からの脅威に備えることよりも国内の統一や治安の維持を優先させ、中央集権的かつ歩兵中心の軍制を採用し、その結果弥生性を鈍磨させてしまうという、滅亡への道を歩み始める、というお定まりコースが繰り返されたのだ。(太田)


コラム#11557(2020.9.26)

 ⇒枢軸の時代において、インドとは異なり、(広義の地中海世界同様、)人間主義「発見」ができなかった支那は、ホンネは墨家、タテマエは法家が主で儒学が従、なる漢(前漢)が滅びた時点で、漢人文明は滅び始めた、と言ってよかろう。(太田)


コラム#13855(2023.11.17)

 ガザ戦争だって、宗教、とりわけ一神教、のせいで起こってるわけ・・だから、もちろん、本当にワルイのはユダヤ人側・・だが、社会一般を上回る性被害もそうだ。
 というのも、妄想を植え込んで広義の統失に仕立て上げた上で擬似人間主義を注入するからストレスが増えて性欲や憎しみが増幅されちまうのよね。
 (参考:カトリック教会の性的虐待事件
 )


コラム#13863(2023.11.21)

 チョイ前の記事だが、禅は、結果として日本で書院造と茶の文化を生み出したのが唯一の成果物であり、禅それ自体は、そのいかなる宗派についても、宗教としても人間主義回復/修復手段としても無価値。↓


コラム#13990(2024.1.24)

 ⇒「孟子自身は「革命」という言葉を用いていないものの、その天命説は明らかに後の易姓革命説の原型をなしている。・・・この論理は当時の宗教権威を論証に介しているものの、意義と目的という面において2000年後のヨーロッパで提唱された社会契約論と同一であると言える。」
 前掲
というわけだが、確かにその通りと言いたくなる。
 というのも、「孟子の対立思想として、荀子の性悪説が挙げられる。しかし、孟子は人間の本性として「四端」があると述べただけであって、それを努力して伸ばさない限り人間は禽獸(社会性を持たない動物)同然の存在だと言ったように、人間を持つ善性を絶対的に肯定していたわけではない。また、それゆえに学問を深め道徳を身につけた君子は人民を指導する資格があるとする。一方、荀子は人間の本性とは無限なる欲望であり、欲望に従順なままでは他人を思いやることも譲り合って争いを避けることもできない。そのため学問や礼儀といった「偽」(こしらえもの、人為の意)を身に付けるようになり、それらの後天的な努力によって公共善に向うことができると主張した。
 教育を通じて良き徳を身に付けると説く点では、実に両者とも同じであり、「人間の持つ可能性への信頼」がそれらの思想の根底にある。両者の違いは、孟子が人間の主体的な努力によって社会全体まで統治できるという楽観的な唯心主義であったに対して、荀子は統治者がまず社会に制度を制定して型を作らなければ人間はよくならないという社会システム重視の考えに立ったところにある。前者は後世に朱子学のような主観中心主義への道を開き、後者は荀子の弟子たちによって法家思想へと発展していった。」(上掲)。
 他方、「ホッブス<は、>・・・かつて人間は、法律も政府も知らない自然状態(ステート・オブ・ネイチュア)にあったが、ここでは、各人が自然権を行使すれば相互に殺し合うという危険な状態も生じた(万人の万人に対する闘争状態)<とするのに対し、>・・・ロックの自然状態は、初期には確かに欲望を抑制することを教える自然法がそこに存在していることによって平和状態だとされているが、人間がいったん貨幣を発明し財産を蓄積し始める(私有財産制)と、闘争、強盗、詐欺などの不都合が生じるとされている。そこで、ロックは、人々はその所有権(プロパティ―生命のほかに自由、生活手段としての財産を含む)を守るために契約を結んで政治社会(コミュニティ)をつくった、と説明している。」

からだ。
 すなわち、ホッブスは荀子に、ロックは孟子に、似ていると言える。
 なお、人間主義が人間の本性であると考える私からすると、その限りにおいて、ホッブス/荀子よりもロック/孟子の方が私の考え方により近い、ということになりそうだ。(太田)


コラム#14163(2024.4.20)

 ⇒「夏」だの「桀王」だのはフィクションだとして、殷を建国した人々は、長江文明諸国に比して弥生性が相対的に強かった黄河文明の大邑の顔色をなからしめる、凶暴なまでの弥生性を帯びていたわけだ。
 これは、狩猟採集社会時代(前述)は、私見では本来縄文人的(人間主義)社会であるけれど、成人男子のほぼ全員が弓矢/剣術や集団戦術に長けているわけであり、商人(しょうじん)は、この装備/戦術を活かして武装商人集団化することによって弥生人的になっていたところへ、最も高度に弥生性を帯び、かつ、半農半遊牧民で東アジアで最も高度な青銅器<(注42)>文化を享受していたところの、弥生人的(非人間主義)社会の遊牧民たる北狄、と接触することで、強い弥生性を身に着けるとともに、優れた鏃や刀剣、更には初期の戦車<(注43)>(後出)を駆使できるようになっていた、ということではなかろうか。


コラム#14163(2024.4.20)

 「マルクスとエンゲルスは、アメリカ<大陸>の先住民族の村落の構造を「古代氏族の自由、平等、友愛」や「生活における共産主義」と語ったルイス・ヘンリー・モーガンの大きな影響を受け<て、>・・・基本的な富に対する集合的な権利、社会的関係における平等主義、階層化と搾取の発生に先行すると考えられる権威的な統治や階級の欠如などを示<す>・・・原始共産制<なる>・・・人類の社会体制<の存在を主張した。>・・・
 原始共産制のモデルは人類の初期の社会である狩猟採集社会に見られ<が、牧畜と農業<が>・・・開始された・・・新石器革命<以後の>・・・原始共産制とされる主な例に・・・「使徒行伝」が記す限りでの初期イェルサレム教会<と>・・・古代から中世のゲルマン人<が挙げられる>」

のは興味深い。
 私が、かつての狩猟採集社会は基本的に人間主義的社会であったと主張してきたこと、また、原始キリスト教団が「愛」を掲げたこと、かつまた、ゲルマン人のうちの少なくともアングロサクソンは人間主義的だった(コラム#省略)こと、を想起されたい。


コラム#14302(2024.6.28)

 ⇒⇒⇒⇒⇒「戦前の日本の陸軍の方が、個人主義イギリスの軍よりも優秀である」って、私、言ったことありますかねえ。とまれ、「軍隊の優秀さの基準・・・は、戦争目的を果たしたかどうか」ではなく、ほぼ同じ兵力・装備での戦役(戦闘)で勝つかどうかであり、例えば、英仏百年戦争の時、(いつも、装備においてイギリスがややまさっていたけれど、兵力量においてははるかに劣っていたところ、)イギリスは主要な戦役にことごとく圧倒的勝利を収めた
 ←クレシーの戦い(1346年)
 ←ポワティエの戦い(1356年)
 ←アジャンクールの戦い(1415年)
にも関わらず、戦争目的を達成することができず、要するに敗戦に終わっています。(コラム#2276)
 なお、そのコラムで、デュプイが、「史上最も強かった軍隊を6つ挙げている。アレクサンドロス大王のマケドニア軍、共和制時代のローマ軍、ジンギスカンのモンゴル軍、英仏百年戦争前半のイギリス軍、ナポレオン時代初期のフランス軍及び第2時世界大戦初期のナチスドイツ軍である。」と指摘していると書いたところです。(太田)


コラム#14547(2024.10.28)

 狩猟採集社会/人間主義社会の前も後ろも非人間主義「社会」だったってことか?
 (ところで、なんで、人類だけが強肩を持つに至ったんかしら。)↓

 「・・・私たちの種ホモ・サピエンスの30万年の歴史をたった1年に圧縮すれば、私たちは元日からクリスマス頃まで、ほとんど、非階級制の平らな社会で暮らしてきたことになる。
 最後の6日間に階級制が標準になり、複雑な文明がこの惑星の各地に根を張る。そのときにようやく、支配と専制政治が私たちの特徴となった。私たちの現代社会こそが例外なのだ。・・・
 7万〜6万年前、弓矢が考古学的記録に登場する。だが、これらの武器が開発される前から、私たちのホミニド(ヒト科の動物)の祖先は、チンパンジーには真似を夢見ることしかできなかったほどの正確さで石を投げられた。
 私たちは、離れた場所から相手を攻撃できる遠距離武器を使う点で、他の霊長類とは違う。それが私たちの社会構造を一変させた。
 遠距離武器のおかげで、殺害のカギは筋力と体格よりも脳と技能になった。権力をめぐる争いでは、投射物によってそれまでの優劣が容赦なく均一化された。
 より優れた槍を作ったり、その投げ方を練習したりした小柄なホミニドが、自分よりずっと大きく強い相手を、突如として簡単に殺せるようになった。・・・
 大人である必要さえない。アメリカでは週に一度ほどの割合で、幼児が誤って銃を発射して誰かが撃たれている。
 そうした事故のうちには、致命的なものもある。一方、赤ん坊のチンパンジーが誤って大人のチンパンジーを殺すなどという話は馬鹿げている。彼らは、力ずくでしか相手を殺すことができない。
 したがって、遠距離武器の発達によって、適者生存というときの「適者」の意味が変化した。体の大きさは、もはや以前ほど重要ではなくなった。
 他のどんな大型類人猿よりも、人間では男女の体の大きさの違いが小さいのは、この変化が主要な理由である、と進化生物学者たちは主張してきた。
 もし彼らが正しければ、男性は女性よりもたいてい数フィートではなく数インチしか背が高くない一因は、私たちの肩の出来に帰せられることになる〔訳注 1フィートは約30.48センチメートル、1インチは約2.54センチメートル〕。
 だが、遠距離武器とそのおかげで実現できた大幅な均一化がもたらした最大の変化は、階級制の平坦化であり、チンパンジーの専制政治から狩猟採集民の協力への移行だった。・・・」


コラム#14816(2025.3.12)

 蒋は、貧しい家庭に生まれ、なおかつ8歳の時に父を亡くすという悲惨な境遇の下、周り中にいる阿Q達による詐取やゆすりたかりに対抗するためには、自らが弥生性を身につけなければならないと考え、非漢人(支那人)的であるところの、軍人、への道を選んだわけだ。
 だから、蒋介石は、仁や日本文明の人間主義性になど全く関心を持たず、弥生性の観点だけから日本(やもちろんその他の諸国)を評価したものだから、悔日の孫文が日本の支那への介入を跳ね返そうとしたことに、他の反日の人々と同じく(思慮不足の)理由で賛同しつつも、その手段として孫文のように(接壌国なので危険な)ソ連の軍事力に頼るのではなく、より軍事力が強そうでしかも遠国のドイツに頼り、次いでそのドイツを切り捨て、最終的に最も軍事力が強いと同時にやはり遠国の米国に頼った、というのが私の理解だ。