インド


コラム#13759(2023.9.30)

 ⇒私見ではその大部分が人間主義者であったところの、古今東西、日本以外にはこれまで出現したことがない、人間主義に立脚した社会、を形成していたインダス文明の人々(コラム#省略)は、神道のような「宗教」を信じていたと見てよさそうだ。(太田)


コラム#13759(2023.9.30)

 ⇒(自然環境の変化に伴い、インダス文明は衰退してしまい、ガンガー(ガンジス)河流域に住んでいたところの、このインダス文明を担っていた人々の「未開」版のドラヴィダ人の下へ、(ミタンニ発祥の)アーリア人の、宇宙の起源や人生の意味、を追究する世界観が入って来た。
 この(非高度文明版)ドラヴィダ人達は、(縄文人が弥生人に対してそうであったように、)侵入してきたアーリア人に抵抗らしい抵抗をしなかったと想像される。
 その結果、アーリア人の世界観とドラヴィダ人の神道的な世界観が比較的平和裏に混交していった。(太田)


コラム#13759(2023.9.30)

 ⇒この、究極的存在と神々と(人間を含む)個々の生物、からなるバラモン教の世界観の問題点は、せっかく、聖なるものをあらゆる個々の生物が持っていることを認めながら、それが、自然や(人間を含む)個々の生物相互をヨコに繋ぐ(私の言うところの)人間主義性であることに気付いていたと想像されるドラヴィダ人達の気持ちを無視し、アーリア人達が、この聖なるものは、究極的存在と神々と個々の生物とをタテに繋いでいるとだけ考えてしまったところにある、と、言えそうだ。(太田)


コラム#13759(2023.9.30)

 ⇒引用した上掲のくだりには出て来ないが、上述したことから、インド人(アーリア人/ドラヴィダ人)の社会は、ヨコの関係性が断ち切れたところの、究極の個人主義社会、になってしまい、だからこそ、アーリア人はドラヴィダ人に対し、アーリア人がドラヴィダ人を支配する上下関係にあるのは自然の秩序であると宣言し、ドラヴィダ人を肉体労働従事者と規定し、この発想の延長線上で、アーリア人を上下関係にある三つのグループ・・知を司るグループ、力を司るグループ、カネを司るグループ・・に分け、その上で、知を司るグループが中心となって、輪廻観念をでっち上げることによって、社会に秩序を与えようとした、と、私は考えるに至っている。
 その結果、次第に、バラモン(Brahmin)、クシャトリヤ(Kshatriya)、ヴァイシャ(Vaishya)、シュードラ(Shudra)、そしてダリット(Dalit)、というヴァルナないしカーストが形成され、それが輪廻観念と結び付いたところの、社会、が、インドで確立していった、と。
 釈迦が生まれたのは、かかる社会が確立しつつあるインド社会だったのだ。


コラム#13759(2023.9.30)

 私に言わせれば、このバラモン教の下のインド社会で、一番ストレスが貯まっていたのはクシャトリヤ達だった。
 というのも、アーリア人は平和志向のドラヴィダ人を容易に支配することはできたものの、第一に、そんなドラヴィダ人を兵士に仕立てることはできず、統治を担当することになったクシャトリア達は、小国が分立し、相互に小競り合い的戦争を恒常的に繰り返しつつも、兵力不足で、領土拡張を行い、統一を達成することが容易ではない、という状況に加えて、第二に、各国内においても、知を司るバラモンがのさばっていて、一旦彼らが神の託宣として言い出したことには基本従わなければならない、という状況に、悩み多き毎日を送っていた、と、私は見ているからだ。


コラム#13759(2023.9.30)

 実際、アショーカ王当時のマウリヤ朝の「農民生活はさほど豊かではなかったらしい。当時の浮き彫りなどからは農民のみすぼらしさが読み取れ、恐らくそれまでの時代と比較してその生活が向上するようなことはなかった。」

のであり、アショーカの平和主義が庶民を裨益したであろうことは疑いないけれども、彼が、慈悲(人間主義)に基づく統治を行ったとは言えなさそうだ。
 アショーカは仏教信徒ではあっても大乗仏教信徒ではなかった、ということになりそうだが、まだ大乗仏教は成立していなかったのだから、そうは言えない。
 より深刻なのは、国王が(少なくともタテマエ上)敬虔な仏教徒になったことに伴う平和主義が、全盛期のマウリヤ朝を一挙に衰退させてしまったらしいことだ。
 もちろん、その結果として、仏教自体も衰退し始めたに違いない。
 にもかかわらず、上座部仏教はもちろんだが、来るべき大乗仏教が、このアポリアに悩んだ形跡すらなく、従って、対策を一切講じなかったことが、一体どうしてなのか、私にはいまだに理解できない。(太田)


コラム#13759(2023.9.30)

 以上を踏まえれば、まことにもって遺憾なことだが、ヴィパッサナー瞑想的なものの実践者中のパイオニア達は、揃いも揃って、利己的な生涯を送った者達ばかり・・ミャンマー系の巨魁達はヴィパッサナー瞑想なる詐欺的商品の販売者達、歴代ダライ・ラマは仏教なる装飾で身を守り人を誑かす利己的権力者達・・だった、と言ってもあながち過言ではなさそうだ。
 ヴィパッサナー瞑想に対する私の買いかぶり(コラム#省略)は、誤りであった、と、大反省している次第だ。
 但し、ミャンマー系のこのパイオニア達(やそのエピゴーネン達)がやったことは効用なき暇つぶし的ルーティンの販売に過ぎなかったけれど、歴代のダライ・ラマ達がやってきたことは搾取であり罪深かった、と、言えるのではないか。(太田)