仏教
私は、釈迦は宗教家を目指したわけではなかったが、結果的にその生存中に、前述したような、無教義の新しい宗教を成立させることとなった、と、考える。
但し、その時点での仏教は、クシャトリアによって形成されたところの、(優波離のような例外はあったものの、)もっぱらバラモンとクシャトリアのための、リクツっぽい宗教、であったところ、それが万人のための宗教に変化したのは、大乗仏教系においては、仏像、呪術、利他行の奨励、の全部または一部を伴う宗派が出現した時であり、上座部仏教系においては、仏像、呪術、ヴィパッサナー瞑想、の全部または一部を伴う宗派が出現した時である、と、私は考えるに至っている。
なお、このうち、仏像には芸術的観点から人間世界におけるプラスの資産となっているものがあるけれど、後は、私の言う人間(じんかん)主義的観点から利他行の奨励が高く評価されるだけで、それ以外の、呪術はもとより、ヴィパッサナー瞑想なんてものは論外として、座禅ないしサマタ瞑想やヨーガ等の瞑想もまた、それだけ行うのであれば時間の無駄である、とまで、私は思うに至っている。
というのも、例えばヴィパッサナー瞑想について言えば、釈迦だけが自力で解脱できたことから、菩提樹下での釈迦の瞑想・・サマタ瞑想だったと考えられる・・が、実はそれまで、釈迦や「弟子」の比丘達が時として行っていた瞑想とは全く異なるものであった、と主張し、その時の釈迦の瞑想のやり方を再発見したとの詐言を弄し、それにヴィパッサナー瞑想と名付けて売り出したところの、上座部仏教の誰か、がいた、と、私は想像するに至っているからだ。
(ヴィパッサナー瞑想についての、これまでの私の主張(コラム#省略)を全面的に改めた。)
なお、何度も恐縮だが、釈迦が発見した慧(般若)なるものは、クシャトリアが輪廻から脱し、その反射的利益として、現世においてバラモンの権威を貶めることができるリクツ・・無常、 苦、 無我・・を理解する能力以上でも以下でもないのであって、悟り(涅槃)・・私の言葉によるところの、法華経とも親縁性のある、人間主義者、への回帰(の必要性と可能性)・・ではなかった、と、私は見るに至っている、と、再度申し上げておく。
釈迦が気付いたところの、縁起(=自然/生きとし生ける者が潜在的/顕在的相互依存関係にある)、を踏まえれば、人は私の言う人間主義的に生きるべきであることに思い至り、ジャータカを著し始めた人物や慈悲を強調し始めた人物、すなわち、仏教をローカルな「宗教」から時と地域を超えたグローバルな思想、もとい、科学、へと変貌させた、仏教信徒たる人物、は不明だ。
あえて、大胆な想像をすれば、この(これらの)人物(達)は、慈悲だけを訴えたかったけれど、マーケティングの観点から、仏教を信仰すれば現世利益も得られますよ、という下劣な宣伝文句、や、もっぱらかかる現世利益を得るための手段として、彼(彼ら)以外の人々によって「開発」された(と思いたいところの、)仏像、ストゥーパ、呪術、といった仏教小道具類、を排斥しなかったことに、内心忸怩たる思い、疚しさ、を抱いていたために、名乗ることを避けたのではなかろうか。
しかし、そんなことよりも、遥かに深刻な過ちは、慈悲に満ちた社会ができたとして、全世界がそのような社会で覆い尽くされるようになるまでの間、そんな社会がどうやって、非慈悲勢力からの脅威に対処するか、に、この(これらの)人物(達)が思いを致さなかったことだ。
そのため、かかる慈悲の普及を目指した社会は、ことごとく、早期に、内外の非慈悲勢力による瓦解を運命づけられることとなり、そのせいもあって、世界は、日本社会等、ごく一部を除いて、未だに非慈悲の社会がその大部分を覆った状態にある。
これが、私の言う、仏教の呪い(コラム#省略)というやつだ。
さはさりながら、この(これらの)人物(達)が出現しなかったならば、このアポリアを解く手掛かりを発見したところの、厩戸皇子(注81)のような人物が出現することも、彼が私の言う聖徳太子コンセンサスを形成することも、それを踏まえた私の言う桓武天皇構想が策定されることも、日蓮主義が生まれることも、また、それを踏まえて私の言う島津斉彬コンセンサスが形成されることも、更に、それを踏まえて杉山構想が策定されることも、日本以外で慈悲の社会ができる可能性が生じることも、なかったのだから、この(これらの)人物(達)の偉大さは銘記されるべきだろう。
この大乗仏教において、慈悲の実践に関し、慈悲に関する教宣だけをもっぱら行うべしとする保守派と教宣だけではなく人間主義的言動をも行なうべきであるとする革新派とが出現したと考えられる。
但し、ここでの保守、革新両派とも、それだけでは、マス・マーケティングの観点からは魅力、迫力不足だと考え、解脱/悟り/救いへの道として、この人間主義的アプローチの他、座禅(サマタ瞑想)による自力アプローチ、や、阿弥陀如来や呪術頼みの他力アプローチ、も、取り揃えて提示した。