未整理


コラム#11187(2020.3.25)

 私は、丸山批判を行った点では評価するけれど、島薗もまた、丸山同様、近代主義に「毒され」ているように思います。
 そうではなく、人々が荒み、また、世の中が乱れて来たこと、に対して危機意識を抱いた、ソクラテス/プラトンや釈迦が、人間主義が失われた理由、それを回復する方法、を追求したところの、いわゆる枢軸の時代における諸思想には、多かれ少なかれ、丸山の言う、規範が自然と連続する、連続的思惟が見られたのであり、類似の思惟が、その後の時代においても、世界各地で、「人々が荒み、また、世の中が乱れて来た」、と感じた人々によってなされることとなった、ということだ、と考えている次第です。(太田)


コラム#11299(2020.5.20)

 狩猟採集社会が農業社会に変わると、貯蔵穀物を狙って家ネズミが生まれ、その対策にヒトによって野生ネコが飼いならされてネコが生まれたとさ。

 家ネズミとネコはヒトの非人間主義化の象徴だったってわけだ。
 なお、イヌはまだ狩猟採集社会時代だった頃にヒトが家畜化したもの。
<  >


コラム#12657(2022.3.29)

 このコラムに書かれていることは、無知・迷信(、そして現世利益)、を取っ払ったところの、宗教の核心部分は、それが、(以下私の言葉を用いれば、)非人間主義社会において信徒達に疑似人間主義的効用を与えるところにある、ということのようね。↓

 ・・・it has often been claimed that religious belief arises from ignorance and superstition. If that were the case, you might expect religion to gradually fade away as societies became better educated and more scientifically oriented.


コラム#13125(2022.11.18)

 後段については、狩猟採集民(狩猟採集社会)においては、という御趣旨なのでしょうが、私は、人間主義が人間の本性だと信じており、狩猟採集社会しかなかった頃は人間のほぼ全員が人間主義者だった、という仮説から出発して議論を展開してきたところ、「人間のほぼ全員が人間主義者だった」頃などなかった、ということになると、改めて、どうして縄文時代(とインダス文明)だけは例外だったのかを解明しなければならなくなるわけです。
 (「定住と狩猟採集の二つの条件」が縄文時代にあったことは、人間主義を日本列島住民が(弥生人到来以降においても)維持できた要因ではあっても、縄文人のほぼ全員が人間主義者だった要因ではないでしょう。)
 これは、まことにもって頭を抱えざるをえない難問です。


コラム#13941(2023.12.31)

 <20qp3GtI>(同上)

 コラム#13863にて目的があらゆる手段を正当化するのが宗教の危険性と批判しているという事は、
人間主義を守るためなら何をしても構わない、
人間主義の拡散の為なら何をしても構わない、
という立場には立っていないという事ですか?
 コラム#13633で武力を用いた人間主義の世界への普及に嫌悪する勢力に毛利が含まれていて、コラム#13259では岸が毛利の元家臣筋でもあるというなら、岸は毛利家の悲願を達成した忠臣になるのですか?

⇒私が二重基準じゃあないのか、という鋭い指摘ですね。
 形の上ではその通りです。
 但し、人間主義以外のあらゆる教義宗教、思想、イデオロギー、類、は、本来の人間の姿から目を背けたフィクションたる主義、であるのに対し、人間主義は、科学的裏付けがあるところの、本来の人間の姿、のままでいる、ないしは、これらフィクション類を脱ぎ捨て(させ)て本来の人間の姿へと回帰する(させる)、「主義」、である点において決定的な違いがある、というのが私の考えです。
 だから、私は実質においては二重基準ではない、ということにしておいてください。(太田)


コラム#14163(2024.4.20)

 人間の場合は、女親だけではなく男親も自分達の子供のために自己犠牲を厭わない気持ちを抱き、その気持ちを、近親者、親族、地域の人々、地域を中心に拡大された広域の人々、にまで理性に基づき、というか、想像力と合理的計算に基づき、拡張しているけれど、この拡張にも「文化的要因の枠組み」など殆ど関わってはいまい。
 だから、この点に関しては、松本の主張には違和感がある。
 問題は、人間が、かかる、拡張された本能の発揮を頻繁に繰り返していると、私の言うところの、人間に生来的に備わっている人間主義が毀損されてしまうことだ。
 その場合に、その状態を文化として積極的に肯定する宗教、例えばゲルマン神話、が生れる場合があるし、また、毀損された人間主義を修復(回復)すると標榜する宗教、典型的には一神教、就中アブラハム系諸宗教、が生れる場合があり、後者の場合、(別の宗教を信仰する人々を含む)当該宗教を信仰しない人々との間で、戦争を含む紛争を生み出す原因となりがちだ。(太田)


コラム#14163(2024.4.20)

 ⇒縄文時代に戦争が殆どなかった・・従って人間主義が毀損されなかった・・のは、農業が従であったこともあり、人々が奪い合うほどの富の集積がなされえなかった一方で、奪い合わねばならないほどの飢えが生じることもまたない比較的に恵まれた食環境であったからだろう。(太田)


コラム#14163(2024.4.20)

 私は、狩猟採集時代の人間は、基本的に人間主義的であったと考えており、農業革命以降、人口密度が飛躍的に高まると共に富の集積と偏在が生じたことによって深刻な紛争が多発するようになったことに危機意識を抱いた結果、農業革命の時期の違いに応じて、しかし、世界各地において「人間いかに生きるべきか」が模索され始めたところ、それを枢軸の時代、と、捉えたらどうか、と考えているわけだ(コラム#省略)。


コラム#14197(2024.5.7)

 「長期間の定住狩猟採集社会という特殊性」というのは、無政府状態で狩猟採集用の「武器」以外に武器がない状態で平和で飢餓を免れた生活を1万年も送ることができたことから、日本人の潜在記憶の中に、そういう状態・・縄文モード・・を是とする意識が刷り込まれた形で存在する、ということを言っているのであって、そのことをもって「日本と海外で、もとから違う人間として産まれてくる<など>と解釈」しないでくれ、と、お願いするしかないですね。
 「長期間の定住狩猟採集社会<を経験した>という特殊性」など恐らくなかったにもかかわらず、インダス文明のドラヴィタ人は人間主義者であり続けたと思われますし・・。


コラム#14360(2024.7.27)

 (11)拡大枢軸の時代

 枢軸時代(Achsenzeit=Axial Age。BC800年頃~BC200年頃)はカール・ヤスパースが唱えたものだ

が、これを、人間主義の喪失に対する危機意識の時代、と、捉え直し、誤って、利他主義を唱えたイエス、や、正しく、慈悲(注8)(人間主義)を提唱した『法華経』、の出現を含めるために、その終期をAD100年頃まで延ばしたのが、私の拡大枢軸の時代だ。(コラム#14163)

 (注8)「他<者>に対して楽を与え、苦を取り除くこと(抜苦与楽)を望む心の働きをいう。・・・これはキリスト教などのいう、優しさや憐憫の想いではない。」

 「この慈悲心・・・は,他者という意識もなくなった徹底した自他不二の無我の心境,すなわち捨の心から発せられるべきものであると<される。>」


コラム#14526(2024.10.17)

 ⇒古代ギリシャ、とりわけ、(私の言う)古典ギリシャ、と、ローマ帝国、と、アブラハム系宗教、との三つ、の強い影響を、(アングロサクソン文明地域は含めない)地理的意味での欧州、が、中近東イスラム世界、と同じく、受けていることは事実ですが、だからと言って、クラークのように、古代ギリシャ史をプロト欧州文明/欧州文明の「中」に位置付けてはいけません。
 アングロサクソン文明地域は、既に見てきたように、ゲルマン文化(とケルト文化)の影響が圧倒的であるところ、なおさらです。
 その上でですが、論理/合理性/普遍性、を重視する価値観・・科学的価値観と言ってもよさそうです・・は、同一文化に属する多数の諸国・・事実上の国も含む・・が長期間にわたる(冷戦を含む)戦争状態下に置かれた時にのみ生まれるものである、というのが私の考えなのです。
 そのような状態が出来したのは、全人類史において、支那における春秋戦国時代(BC770~BC221年=秦による統一)、

古代ギリシャにおけるアルカイック期と古典期・・私の言う古典ギリシャ(BC8世紀~BC322年=マケドニアの覇権確立)・・、

そして、広義の欧州において、1453年における英仏戦争の終結から始まり、そう遠くない将来において人間主義勢力が世界覇権を握ることで終わるであろうところの時代、の、3回だけである、と。(太田)


コラム#14536(2024.10.22)

 ⇒「均質的で阿吽の呼吸も使える日本では、現場が気合と根性で頑張ることで仕組み化しなくても問題解決できてしまうことが多くあります。従って、抽象化思考を身につけるには適していない環境と言えるでしょう。」

における、「均質的で阿吽の呼吸も使える日本」とは、「人間主義(じんかんしゅぎ)社会の日本」ということであり、この限りにおいてはクラークの言っていることは正しいが、マン・マシーン・システム・・刀や弓矢はそうではないがチャリオット、弩や投石器は既にそうだ・・を作り使いこなすにあたっては、そんな日本でも「抽象化思考を身につける」必要があり、弩を殆ど用いず、チャリオットや投石器は全く用いなかった日本において、銃器が導入された安土桃山時代に数学研究者が初めて出現した

ことは、本格的戦争の長期にわたる持続が抽象化思考をもたらす、ということを示しています。
 文化や文明によって抽象化思考が忌避される、というわけではないのです。(太田)


コラム#14639(2024.12.14)

 定住的狩猟採集社会であったところの縄文時代の社会(BC14000~BC10世紀頃)、のほか、農業社会であったところの、(但し狩猟も不可欠だった)チャタル・ヒュユク(Chatalhoyuk)社会(BC7500年頃~BC5600年頃)、ミノア文明社会(BC2000年頃~BC1400年頃)、インダス文明社会(BC2600年頃~BC1800年頃)、殷(BC16世紀頃~BC1046年)、





といった具合に、定着社会で、就中、農業革命後の農業社会においても、人間主義社会と思しき社会は、既発見のものだけでもいくつもあったわけだ。
 私の言う拡大枢軸の時代(BC800年頃~AD100年頃)(コラム#14360)の到来は、人間主義社会をかつて持った、或いは、人間主義社会をかつて近傍で持った、ところの、(日本を除く)それぞれの地域において、これら社会の消滅後、数百年の後、この消滅を人類にとっての危機と捉えた人々が登場したことの証であると言えよう。↓


コラム#14639(2024.12.14)

 「狩猟採集時代の人間は基本的に全て縄文人<(人間主義者)>であったところ、農業革命以降、その大部分が、一部は弥生人や縄文的弥生人や弥生的縄文人、その他は普通人、へと「堕落」してしまったところ、このうち、縄文性を部分的に失わなかった、縄文的弥生人や弥生的縄文人、が、私の言う拡大枢軸の時代において、縄文性を全面的に回復する方策を追求した結果生まれたのが、(プラトン<やアリストテレス>が唱えた哲人政体の追求、<儒家や>墨家の人々が唱えた<儒家や>墨家の思想を体現した政体の追求、といった)イデオロギーや(ユダヤ/キリスト教、大乗仏教、といった)教義宗教なのであり、これらのイデオロギー/教義宗教の担い手達は、それを、弥生人や普通人、等、に普及することに努めつつ、現在・・少なくとも比較的最近まで・・に至っている、ということなのです。
 他方、日本列島においてだけは、支配層を構成する弥生的縄文人が、縄文的弥生人へと自らを変身させることによって、縄文人を縄文人のまま保護し維持することに成功した、と。
 なお、支那大陸においては、弥生的縄文人が基本的に支配層を構成し続けたものの、弥生人たる騎馬遊牧民によって征服されたり混乱状態に陥らされたりして王朝交代が起り、征服された場合、その征服王朝の支配層は、漢人文明化することによって、弥生人から縄文的弥生人へ、更には弥生的縄文人へ、と急速に変貌してしまうのを常としてきたところです。」(コラム#14546)