太平構想、徳川吉宗誓約、島津斉彬コンセンサス


コラム#14417(2024.8.24)

 島津重豪や徳川斉昭にとっては想定外だった筈だが、光格天皇、仁孝天皇父子には、武士が登場するより前の縄文モード最盛期の摂関/国風文化時代への復古希求があった、と言えそうだ。


コラム#14417(2024.8.24)

 この仁孝天皇の子の孝明天皇も光格天皇以来の考え方に忠実であったと考えられるところ、孝明天皇の傳役(養育係)であった近衛忠煕は、この孝明天皇のアナクロニズムは矯正不能であると見切った上で、同天皇を、日蓮主義者へと仕立て上げることを早々に諦め、単なる傀儡として利用すべく、同天皇が余計なことを考えないよう、同じくアナクロニズムに毒されていた中沼了三を天皇の侍講とする

等によって天皇をアナクロニズムの「牢獄」に閉じ込め、日蓮主義に基づく倒幕・維新を実現していくことになった、と、私は見ている。


コラム#12576(2022.2.16)

 ⇒私は、岩倉は、近衛家/薩摩藩のエージェントであったと見ているわけですが、彼らのこの時点での気持ちは「驚愕」ではなく、遥かに冷静な、一、孝明天皇を泳がせて利用できる賞味期限は切れていることを再確認し、二、天皇家ないし天皇制は、それらが江戸時代の大部分においてそうであったところの、象徴的な存在、へと回帰させない限り爾後維持することは不可能であって、三、天皇抜きでの秀吉流日蓮主義(島津斉彬コンセンサス)の完遂を行う仕組みを整えなければならない、というものだった、と、見ています。(太田)