中共


コラム#12849(2022.7.3)

 なお、中共下で「中国社会をまとめる宗教や価値観がない」なんてことはなく、人間主義(人性(ヒューム)主義)であることを、私はかねてから指摘しているところだ(コラム#省略)。(太田)


コラム#13061(2022.10.17)

 <邦語媒体より。
 人間主義を一時、ヒューム由来の「人性」と言い換えていた(コラム#省略)のが、このたび、「人民至上」と更に言い換えたのね。↓>
 「10月16日出版の雑誌『求是』第20号に習近平・・・の・・・文章『人民至上を堅持』が掲載されました。
 文章では「中国共産党の根幹は人民にあり、血筋は人民にある。中国共産党には独自の特別な利益はなく、党はいかなる時でも民衆の利益を第一に置いている。これは中国共産党がマルクス主義政党として他の政党と区別される顕著な特徴である。新型コロナウイルス感染症を前に、われわれは当初から人民の生命の安全と健康を第一に置くことを鮮明に打ち出した。これは人民至上、生命至上であり、人民の生命の安全と健康を守るにはいかなる代価も惜しまない」ことが強調されました。


コラム#13381(2023.3.25)

 文化大革命は、毛沢東の、この挫折に由来する焦り、が惹き起こしたものだったのではなかろうか。
 そこで、恐らく、1976年に亡くなった毛沢東の遺志に基いているのだろうが、中共当局が採用したのが、日本から中共人民に直接人間主義を学ばせるという方法だった、と見るわけだ。
 それを象徴するのが、1978年の鄧小平の訪日であり、彼の訪日時に「自らを不老不死の霊薬を求めて来日した徐福に擬えた」

のは、彼の本心を言い得て妙だったという感を深くする。
 その後、鄧小平が打ち出した改革開放について、我々はえてして、経済的なものとしてだけ見がちだが、むしろ、経済的なものは副次的であって、中共人民/社会の人間主義への改革と、そのための人間主義の日本への中共の開放、が、その主眼であったとさえ言えるのではないか。
 (当時の日本は経済高度成長の真っただ中であり、「人間主義への改革と、日本への開放」をすれば、経済高度成長は自ずとついてくる、という発想ではなかったか。)
 しかし、そうなると、そんなものは、日本の真似・・私の言う日本文明の総体継受・・でしかないということになりかねず、中国共産党の権威が地に落ちかねない。
 つまり、人間主義思想は、支那の正統思想の中においても見出すことができる、と言わざるを得なくなったのではないか。
 そのために、儒教の復権が行なわれた、と考えたらどうか、と、私は言いたいのだ。↓


コラム#13381(2023.3.25)

 そうであるすれば、儒教の復権の最大の目的は、万物一体の仁・・私の理解では人間主義のこと(コラム#省略)・・の賞揚と中共人民達への普及にある、と、いうことになりそうだ。


コラム#14166(2024.4.21)

 (3)桓武天皇構想

 ところが、天智朝に取って代わった天武朝は、聖徳太子コンセンサスに反し、唐を理想視し、唐の諸制度を日本に直接導入しようとした。
 (朝鮮半島において、(地名まで支那風に全とっかえする形で)大真面目に本当に導入し、その後も日本は実質的な導入がなされないまま軌道修正が行われたところ、全く軌道修正がなされないまま20世紀の日韓併合まで漫然たる国家運営を行い続けてしまう原因を作ったのが新羅だ。
 これは、プロト日本文明的文明から漢人文明へと世界史的に見ても空前絶後の自発的な文明の切り替えであったのであり、それを、新羅に続く高麗も、更に続く(李氏)朝鮮も踏襲してきた結果が、現在の北半分の金家独裁王朝であり南半分の反日カルト国だ。
 他方、支那では、中共が、建国前から日本文明の日本を模範としきたところ、建国後は、とりわけ鄧小平が最高権力者になったからは、日本から学ぶ戦略をとってきており、習近平が最高権力者になってからは、更に一歩を進めて、私の言うところの、日本文明総体継受戦略を推進すると共に日本を再軍備させるための反日政策をとるという、日本から見てマッチポンプ的対応を行なってきている。)


コラム#14562(2024.11.4)

 他方、世界政府が樹立されるまでの間は、人間主義社会への直接の回帰は不可能であり、人間主義性(縄文性)と弥生的縄文性からなるところの日本文明の総体継受を図るしかないわけです(コラム#省略)が、「日本文明の総体継受を」いかにして「図る」か、も、一種の思想/イデオロギーであって、クラークは自分が何を言っているのか分かっているとは思えません。
 昔なら、特定国または地域から相当数の人間が戦前の日本に長期滞在して人間主義と縄文的弥生性をそれぞれ身につけて戻り、特定の地域で集住し、そのデモンストレーション効果で周りの人々を感化して行く、という、迂遠な方法をとるしかなかったけれど、現在では、日本の映画やTVドラマやアニメや漫画を輸入して、それらから感化を受けた人々が日本観光をしたり日本に長期滞在したりして人間主義と(縄文的弥生性ならぬ)弥生的縄文性をそれぞれ身につけて戻る、という、より効果的な方法があるのであって、現に、習近平の中共がかかる思想/イデオロギーに基いて日本文明総体継受戦略を追求している、と、私は、かねてより指摘しているところです。(コラム#省略)(太田)


コラム#14417(2024.8.24)

 「「天皇陛下によろしく」-。1956年9月、北京。毛沢東は、侵略戦争に関わった日本の元軍人代表団を招待し、「戦犯」だったはずの昭和天皇にメッセージを投げた。一方、昭和天皇もひそかに中<共>側にメッセージを送り続け、「訪中」を悲願とした。」


⇒毛沢東は、杉山元らのボスを(実は貞明皇后だったのに)昭和天皇だったと誤解したままだったということだろうし、昭和天皇は、日本が支那に多大なる迷惑をかけたし、将来、米国に代わる宗主国に支那がなる可能性がある、と、考えていたので、罪償の訪中が念願だったのだろう。(この念願を後に、天安門事件後の欧米から総スカンをくって窮地に陥っていた中共に、上皇が、皇太子の岳父が外務次官の時に、私見では上皇のイニシアティヴで訪問して救ってやる形で果たす(コラム#14168)ことになる。)(太田)


コラム#14417(2024.8.24)

 「毛沢東(1893~1976年)は、・・・1964年7月、日本社会党の佐々木更三率いる訪中団が毛沢東と会見した際に、過去の日本との戦争について謝罪すると、毛沢東は「何も謝ることはない。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしてくれた。これのおかげで中国人民は権力を奪取できた。日本軍なしでは不可能だった」と返した。・・・なお、毛沢東が戦後日本の天皇制を批判したことは無い。・・・」(コラム#7177)


コラム#14417(2024.8.24)

 「ノーベル経済学賞受賞者であるアマルティア・センは、毛沢東が、日本の教育政策と医療政策を中共に移入した、という趣旨のことを指摘してい<る>」(コラム#7989)ところ、いや、彼は、ありとあらゆるものについて、日本を範にしてきた、というのが私の見方なのだ。
 以上、私が述べてきたところの、日本大好き人間たる毛沢東を象徴するのが、下掲の事実だ。(太田)↓

 「中華人民共和国では旭日模様のデザインが中国共産党の下で積極的に好んで利用されてきた歴史がある<が、>・・・これは毛沢東が旭日模様をとても気に入っていたからとの指摘がある。」

 例えば、毛沢東思想万歳ポスター、文化大革命ポスターを見よ。


コラム#14417(2024.8.24)

 なお、鄧小平は、日本に経済協力を求めてそれを実現させた一方で(欧米の目を眩ませるために)南京事件記念館建設といった反日政策を開始する(コラム#6666)。
 また、習近平・・私見では非血統承継天皇制の中共での樹立を追求している(コラム#省略)・・は、(私が気付いたのは2016年(コラム#8407)だが、)2013年に国家主席に就任した頃から、私が名付けたところの、公然たる日本文明総体継受政策を推進しつつ、(私が気付いたのは2020年(コラム#11381)だが、)中共が日本の宗主国にさせられるのを回避すべく日本の再軍備を図るために日本を口撃等を行う、という、ダブルスタンダード的な対日戦略をとって現在に至っている。


コラム#14737(2025.2.1)

 中共は元から人間主義近似であるところの、マルクス主義、を信奉する集団なんだよ。だから、非人間主義のロシアも米国も中共の潜在敵なんであるからして、この両国をTPOに応じて利用するってだけのことさ。↓

 「【共産主義革命を捨てた中国】歴史的な「米中和解」で帝国主義と手を結んだ毛沢東を中国人はなぜ支持したのか? 「四人組」ら左派を排除した中国共産党の路線変更・・・」


コラム#14805(2025.3.7)

 ⇒中共人民は、いまだにその過半は阿Q(漢人的非人間主義者)だと私は見ていますが、中共当局からは、被統治者の過半が潜在的犯罪者/(通敵者を含む)反逆者であると見えていると想像され、だとすれば、中共当局が、法治主義の徹底は、犯罪/反逆への抑止力を著しく低下させる、と、考えたとしても理解はできる、ということです。
 日常生活で阿Qと接した経験がないとなかなか理解できないでしょうが、ぶっちゃけ、彼ら、アタマが我々並みのズル賢い人非人達であり、こんな連中を統治しなければならない中共当局に、深甚なる同情の念を禁じ得ません。(太田)


コラム#14809(2025.3.9)

 ⇒法治主義って、あえて簡単に言い過ぎればですが、広義の法が全て明示されるってことであるところ、明示されると必ずそれをかいくぐる方法を阿Qは見つけて当局は裏をかかれてしまいます。
 「上に政策あり、下に対策あり」という諺がある

ようなお国柄ですからね。
 となれば、何がその時の広義の法であるか分かりにくくしておく、場合によっては事後法で取り締まられることもありうる、という状態にしておく、ということが抑止力になる、ということです。
 但し、これが行き過ぎると、中共は現在市場経済であるところ、予測可能性が著しく低くなって、経済が回らなくなってしまいかねません。
 さじ加減が大変だと思いますよ。(太田)


コラム#14835(2025.3.22)

 ↑↑このように、毛沢東の事績を振り返ってくると、杉山元らが、日本大好き人間で、共産主義についても人間主義的にそれを受け止め中国共産党の創立メンバーになった毛沢東を見出し、中国共産党と毛を、将来、帝国陸軍に代わって(広義の)日蓮主義戦争を遂行するところの組織とその創健者たるべく育て上げることとし、毛に、遊撃戦戦略という名の戦闘回避戦略、と、縄文性を帯びた兵士達の養成、を入れ知恵し、その後、一時失脚した毛を支え、その復権と長征をお膳立てし、第二次国共合作の舞台を整え、蒋介石政権を名存実亡状態にまで追い込んだ上で、予定通り、中国共産党と毛にバトンタッチした、ということが浮かび上がってくる。
 ところが、そんな中国共産党と毛を、中共当局を除く世界のほぼ全員が(近衛や岸もその一端を担ってしまっているが、)誤解したまま現在に至っている。
 その原因は毛沢東にはない。
 毛沢東が、その能力が杉山元らに匹敵するくらい高いこと、そして掛け値なしに日本大好き人間であること、だからこそ日本を大部分の日本人よりも的確かつ深く理解していること、しかも、嘘をつく場合ももちろんあるけれどそれが嘘だと容易に分かるくらい、基本的にはホンネを語ること、を、理解していないかあえて無視する人が大部分なので、そんなことになってしまっているのだ。


コラム#14838(2025.3.23)

 政権を奪取してから、毛沢東は、その大部分が普通人であったところの、支那人民、の人間主義化の道の余りの遠さに改めて頭を抱えたに違いないのだ。
 大躍進/人民公社化や文化大革命は、人間主義化を一挙に促進しようとの毛沢東のあせりの現われであり、その結果ウン千万人が亡くなったかもしれないが、それでもなおかつ、習近平・・腐敗した軍のお偉いさん達等を次々に牢屋にぶちこんできた・・が、そんなことをやらかした毛沢東を崇敬しているのは、彼には、そういうことが十分過ぎるくらい分かっているからなのだと思っている。